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私にとっての「海外」体験-1

文化(海外)のカテゴリーを作ったので、まず最初に、私にとっての「海外」体験を
時代を追って書いてみます。

1956年に相模原市で生まれましたので、60年代の半ばが小学生時代となります。

小学生になると、同級生に金髪で・目の色が青く・肌の色がやけに白い子や、
肌の色が黒っぽくて・髪の毛が縮れている子などがいました。

小学校の学区に隣接して米軍基地(相模総合補給廠)があり、最寄りの商店街で
(特に飲み屋さんは)米軍基地の兵隊さんもお客さんだったことがその理由だと、
子供心にうっすらと感じていました。

こんな具合で、私にとっての「海外」体験は、身近な所で始まります。
(まだ、海は越えていませんが・・・)

****

私の小学生時代は、朝鮮戦争からベトナム戦争へいたる過渡期で、次第に
ベトナム戦争が激化する時期と重なります。

米軍基地では、年に何度か、施設を開放する日があり、地元のこども達は
その日を楽しみにしていました。 さすがに「ギブ・ミー・チョコレート」の時代では
ありませんが、中に入ると(表の方は)物質的に豊かな夢の国:アメリカ
そのもので、アイスクリームやコカ・コーラの初体験はそこだったと思います。
(米軍基地は「治外法権」なので、これも「海外」体験と言えそうです)

何年生の頃か覚えていませんが、表の方に置かれている戦車は、ピカピカに
磨かれて、「威風堂々」の様相でしたが、裏に回ったところ、まだ修理前の
戦車が置かれており、その中に人の形をした焦げ後を見つけ、戦争の現実を
知りました。  それ以降、施設開放日に基地に行く事はありません。

****

その後ベトナム戦争は泥沼化し、中学生の頃になると日本国内でも反戦運動が
盛んになり、相模総合補給廠周辺でも様々な反戦運動が行われ、
地元商店街のお客さんは、米兵から反戦運動家に様変わりします。

その中でも最も盛り上がったのは、1972年の「戦車闘争」です。
>この話題は、やや今回の主旨から外れますので、改めて書くつもりです。

こんな様子で、小学生~中学生までの私にとって重要意味を持つ
「海外」体験の対象は、アメリカとベトナムでした。

<続く>

参考:
相模総合補給廠 wikiより
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プロフィール

イージー・ウォーカー

Author:イージー・ウォーカー
神奈川県の北部・相模原市で
建築の設計を生きる糧としつつ
その他諸々のことについても
興味の向くまま・気の向くまま
人に頼まれるまま、、、
首を突っ込み・・・楽しく生きている
50代 オジサン の与太話です。

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