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このブログのタイトル

このブログを始める際に、実はタイトルは考えていませんでした。
FC2の申込をしながら、タイトル欄があったので、、、
ふと思いついた言葉が「森羅万象」だったので、ひとまずそうしました。

その後、そのキーワードで他のgoogle検索などをしてみると、
このタイトルのサイト・ブログはそれなりにあり、それらを見ていると
どうも重いタイトルをつけてしまったのかな?などと考え始め・・・
一文字いじって・・・「森羅万像」! に一時変えました。

ところが、「森羅万像」にしてみると、意味は何となく通じるモノの、
誤字と間違えられてしまいそう・・・なので・・・今度は「森羅万歳」!

「森羅万歳」は明るくて良いが、どうも単純すぎるし、何だか薄っぺらなので・・・

それなら、いっそのこと、どうせ「与太話」を書くだけなので、この際
「森羅漫談」なんてどうだろう! と考え抜いて、ひとまず落ち着いています。

そのうちまた変わるかも知れません。(森羅万象に戻るかも?)

********

ちなみに、サブドメインと作者名にしている
easywalker:イージー・ウォーカー は、これまたFC2の申込時に
何か自分らしい言葉はないか探したところ、比較的好きな単語の
組み合わせでget出来たので、それを使っています。

もちろん、中学生の頃観た映画:イージー・ライダーのパクリです。
当時の私は、何となく、映画の中で
ピーター・フォンダの乗る跳ね上がったチョッパーハンドルより
デニス・ホッパーの乗るストレートなハンドルのバイクに憧れました。

でも、その後乗っていたバイクはヤマハのSR250とXV400なので、
なんちゃってアメリカンでした。

今はバイクにのっていませんが、最近は何だか125~250cc程度の
軽快なバイクに目が行きます。

参考:
イージー・ライダー wikiより
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クマについて考えてみる

私が住んでいる相模原市は、近年隣接する旧津久井郡の4町だった、
城山町・津久井町・相模湖町・藤野町と合併して市域が拡がり、
政令指定都市にもなりました。

その結果、旧津久井郡だった丹沢山地北部の自然を市域に含むことになり、
豊富な森林資源や水資源と共に生態系も拡がりました。

すると、市内の防災無線放送や携帯電話で受信しているメルマガで、
「市内緑区**付近で、クマが目撃されました、ご注意下さい」
などというニュースがたまぁ~に流れてきます。

心配性の方は、「さぁ大変だ!熊に襲われたらどうしよう!?」
と考え、ひとまずその付近を「危険地域」としてインプットして
しまうのでしょう。

****

私は以前から、旧津久井郡の山間部には良く行くので、まだ熊に
合ったことはありませんが、鹿・イノシシ・猿・マムシなどには
よく遭遇します。

そんな動物たちに接してしまうと、日本中で何万種類(もっと↑)いる
「いきもの」の中で、人間及びその役に立つ動植物が「善」であり、
それ以外は「悪」である(みたいな)考え方に、限界を感じてしまいます。

だって、たまたま人間は激しく進化して、何万種類もの生態系の
頂点に立っている(つもりだ)けれども、他の生き物を食べることで
その命を維持している訳で、人間にとって直接的に益をもたらす
生き物だけでは食循環が成立しない事は自明だからです。

要するに、直接的には人間にとって「悪」であるいきものも、
回り回って人間の益になっていることも良くある話なのです。

でも、山間の畑をイノシシや猿に荒らされた農家の話や、鹿が運ぶ
山蛭の被害が拡がっている事などを聞くと、何とか多くの生き物たちが
平和に共存できる環境が望ましいなぁと(たまに)考えたりします。

また、地球上の全てのいきものにアンケートを採ることが(もし)出来れば
今の人類(特に先進国の人たち)は、『もっとも好ましくないいきもの』と
なってしまうかも知れません。

2年ほど前に、篠原という場所で、知人から「クマと もりと ひと」
という本を紹介され、読みました。何だか、新しい発見をした気分!
この本は、日本熊森協会というところが発行しており、上記のような
疑問を持った人にはお勧めです。

参考: 日本熊森協会

****

ちょと話題はそれますが、知人の陶芸家で熊谷幸治さんという人がいて、
かれはもっぱら「土器」というジャンルで活躍中の若手陶芸家ですが、
名字に「熊」が付くためか、熊の作品を作ったりもしています。

先日入手して、PCの脇にいつもコッソリ佇んでいる、その熊ちゃんを
紹介します。(カワイイでしょ!)

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生活と芸術について-1

芸術と生活を一緒にするカテゴリーを立てたのは、芸術は生活を豊かにする
大切なものだと思っているからです。

その他に生活を豊かにするものといえば、美味しい食事、愉快な仲間、
暮らしやすい住環境、やりがいのある仕事、気に入った洋服・・・
などが思い浮かびますが、それらは基本的な衣食住+仕事+人間となり、
芸術はそれらをつなぐに媒体やスパイスのようなモノなのだと思います。

いつからそのように芸術を捉えるようになったのかは定かではありませんが、、、
たぶん「芸術」を身近で素直に感じるようになった20歳代後半ごろの「出来事」が
きっかけになったのかと思います。(1980年代後半・・・約30年ほど前です)

そもそも芸術は人間が生み出すさまざまな表現のうち、ふつうに感受性を
持っている(と自覚している)人達にその価値を認められるものなのでしょうが、
私にとってそれは、どこかの評論家や画商が評価しようがしまいがお構いなしで、
自分が良いと感じればそれで良しとなります。

たまたまどこかで心が洗われるような表現に出会うと、「生きてて良かった!」
なんて思うのです。それが私にとって芸術です。

****

30年ほど前に、「有名なもの」に出合った体験をいくつかご紹介しますと・・・

■絵画では、ボッティチェリの『春』『ヴィーナスの誕生』に出合った
ウフィツィ美術館では、あまりの美しさと鮮やかさに言葉を失いました。

中学校の教科書(←確か)に載っていたそれらの絵は修復前の写真で、
煤に覆われどんよりと暗い印象で、何が良いのかさっぱりわかりませんでしたが、
私が見た絵は修復直後だったので、描かれた時の色彩が蘇っえり、
(廊下の突き当たりに掲げられていましたが)はるか数十メートル先から
その美しさは際立ち・輝いて見えました。(他に、ほとんど人もいなかったと思います)

中世(暗黒時代)→ルネッサンス(人間性の復興)という時代の変化を、
この絵を通して理解することになりました。

参考: ボッティチェリ wikiより

■彫刻では、デンマークのコペンハーゲン近郊にあるルイジアナ美術館で見た
様々な彫刻たち、とりわけジャコメッティーの「歩く男」の群像は忘れられません。

「歩く男」は彼の代表作で、広場などに一体で置かれることが多いようですが、
ここでは数体が部屋の中に同じ方向を向いて並んでいました。

彼の(同シリーズの)作品を写真などで眺めると、何だか孤独で寂しそうな
現代人の悲哀のようなものを感じていたのですが、群像となることで、
歩く男達の関係性による優しさや温もりを感じ、何だか自分もその中の1人に
なった気分で、勇気付けられた思いがしました。

この美術館は、近現代美術を美しい周辺の環境と、さりげない建物の中で
親近感を持って接することができる貴重な施設です。とかく大きな美術館で
ありがちな、人が大勢いて、作品が縮こまっているようなことはありません。

参考: ルイジアナ美術館 英文

■バレエでは、モスクワのボリショイ劇場で見た、レニングラードバレエ団により
アランフェス協奏曲の第2楽章にあわせた創作バ・ドゥ・ドゥで、究極の舞台芸術に
触れた思いをしました。

美しい音楽を耳と体全体で楽しむこと+目では研ぎ澄まされた身体表現による
バレエの相乗効果で、切なさや激しい感情の起伏などが、「これでもか!」と
迫ってきました。

あまりの美しさに(+何故か切なさに)自然に涙が出てきた始めての体験でした。

■他にも、
・デン・ハーグの美術館で見たモンドリアン(初期)の水彩画
・エルミタージュで見た、マティスの部屋の「踊る人」他
・プラド美術館の「ゴヤ」の部屋の重苦しさ 
などには、感性を鷲掴みにされた記憶が残ります。

****

何だかヨーロッパの有名どころに偏ってしまいましたが、それまで私が勘違いしていた
「高貴で近寄りがたい『芸術』」を身近なものにするためには、今思い返すと
このような体験がきっかけとなったのかと思われます。

要するに芸術は、「感じてナンボ!」の世界だと思います。
(理解するモノではありません)
それに接する前と後では、何だかモノの見え方が変わったり、元気が出たり、
優しくなったり、切なくなったり・・・心が何となく豊かになってしまう気がするのです。

その後、アジア・日本・身近な生活でもたくさんの「芸術」に出会い、
多くの感動をもらい続けています。<続く>

私にとっての「海外」体験-1

文化(海外)のカテゴリーを作ったので、まず最初に、私にとっての「海外」体験を
時代を追って書いてみます。

1956年に相模原市で生まれましたので、60年代の半ばが小学生時代となります。

小学生になると、同級生に金髪で・目の色が青く・肌の色がやけに白い子や、
肌の色が黒っぽくて・髪の毛が縮れている子などがいました。

小学校の学区に隣接して米軍基地(相模総合補給廠)があり、最寄りの商店街で
(特に飲み屋さんは)米軍基地の兵隊さんもお客さんだったことがその理由だと、
子供心にうっすらと感じていました。

こんな具合で、私にとっての「海外」体験は、身近な所で始まります。
(まだ、海は越えていませんが・・・)

****

私の小学生時代は、朝鮮戦争からベトナム戦争へいたる過渡期で、次第に
ベトナム戦争が激化する時期と重なります。

米軍基地では、年に何度か、施設を開放する日があり、地元のこども達は
その日を楽しみにしていました。 さすがに「ギブ・ミー・チョコレート」の時代では
ありませんが、中に入ると(表の方は)物質的に豊かな夢の国:アメリカ
そのもので、アイスクリームやコカ・コーラの初体験はそこだったと思います。
(米軍基地は「治外法権」なので、これも「海外」体験と言えそうです)

何年生の頃か覚えていませんが、表の方に置かれている戦車は、ピカピカに
磨かれて、「威風堂々」の様相でしたが、裏に回ったところ、まだ修理前の
戦車が置かれており、その中に人の形をした焦げ後を見つけ、戦争の現実を
知りました。  それ以降、施設開放日に基地に行く事はありません。

****

その後ベトナム戦争は泥沼化し、中学生の頃になると日本国内でも反戦運動が
盛んになり、相模総合補給廠周辺でも様々な反戦運動が行われ、
地元商店街のお客さんは、米兵から反戦運動家に様変わりします。

その中でも最も盛り上がったのは、1972年の「戦車闘争」です。
>この話題は、やや今回の主旨から外れますので、改めて書くつもりです。

こんな様子で、小学生~中学生までの私にとって重要意味を持つ
「海外」体験の対象は、アメリカとベトナムでした。

<続く>

参考:
相模総合補給廠 wikiより

アドレスに uchu を入れてみた

これまで仕事でもそれ以外でも、構わず使い続けてきた ***@***.com
のアドレスに加え、新たに仕事以外のメール送受信用のアドレスとして
uchu@***.ne.jp を使い始めました。

****

uchu と 私の間には、日本、アジア、地球、太陽系、銀河・・・
などと様々な区分がありますが、それらを飛び越えて、自分と宇宙を
ダイレクトにつなげてみたり、視点をアチコチに移動させさせたり、
眼前のことを脇において、のんびり・ぼんやり考える余裕を持ちたい
という気分をコッソリ意識しています。

思うに小さな子どもの頃は、「宇宙」は地球から眺める摩訶不思議な存在でした。

ところが、小学生の頃にガガーリンが宇宙へ飛び出し、中学生の時には、
アポロ11号が月面着陸を果たし、月の地平線(月平線?)より地球が昇る
写真を目にし、宇宙の中の地球を初めて薄ぼんやり意識したものです。
(40年以上も前のことです)

思い起こせばその頃、キャロル・キングの歌に、
"I fell the earth move under my feet"なんて歌詞があり、
好んで口ずさんだものでした。
スティーブ・ジョブスが紹介して再び脚光を浴びた、スチュアート・ブランドの
“The whole earth catalog” も、その頃の本です。
バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」も、その頃の提唱かと思って
調べてみたら、'63なので、、、ちょっと驚きました。

要するに、1970年前後は、地球をリアルに客体化する事が、
ちょっと気の利いた人たちの間で始まった頃であり、背景には
これ以上人間がワガママに振る舞うと、地球の環境がアブナイと
気づき始めた頃でもあります。

****

古来から、星や宇宙をテーマにした音楽やお話は数多くあり、
たぶん人間の想像力の源泉みたいなものが、そこにあるのだと感じます。

近年では、宇宙科学の進展や、素粒子物理学などの発見が相次ぎ、
多くの謎が解き明かされると共に、新たなたくさんの謎が生まれています。

そういえば、このブログのタイトルにした『森羅万象』にも、実は「宇宙っぽい」
響きを持たせています。

参考:
The whole earth catalog wikiより(英文)
宇宙船地球号 wikiより

中高生の頃聴いていた・・・

中高生の頃(1970年代前半)に聴いていた音楽は・・・
■邦楽
 ・山崎ハコ
 ・石川セリ 
などの個性的な女性歌手達でした。

何故聴くことになったのかと言うと、TBSラジオの深夜放送、
パック・イン・ミュージック 木曜第2部(am3:00~am5:00)の
林義男(故人)さんのフリークだったので、その番組から生まれた
マドンナである3人娘(上記2人+荒井由美)の、何故か荒井由美を除く
2人がお気に入りになった訳です。

中高生の頃、何でam3:00~am5:00の間、ラジオを聴いていたのか
よく分かりませんが、番組が終わると「おはようございまぁ~す!」なんて
番組が始まり、それを聞きながら眠っていました。(学校は???)

当時のラジオの深夜放送に、(現在のインターネットのように)
管理されていない自由さやアヴァンギャルド性を、そのころの私は感じて
いたのでしょう。

石川セリさんとは、(ひょんな縁で)10年ほど前に市内某所でお食事を
ご一緒させていただき、相変わらずの素敵さに惚れ直しました。

たまに、セリさんのフワフワ・ワウワウやセクシーなどをカラオケで
歌っちゃったりします。

■洋楽
 ・ピンクフロイド
 ・タンジェリンドリーム

最初に行った(まともな)コンサートは、中学3年生の時('70年頃)に
東京都体育館で行われたピンクフロイドのコンサートでした。

体育館前の列に並んで入場を待っている間、前後の大人達は、
ほとんど(怪しげな揮発性の液体に入ったと思われる)袋を口に当てて
うつろな目で並んでいた事を良く覚えています。

初めて行ったコンサートなので、他と比較のしようがありませんが、
何とも大仕掛けなステージで、3時間近く音の洪水の中に身を委ね、
音楽が醸し出す不思議な空間に陶酔する楽しさを十分に味わいました。
(会場に充満していた、怪しげな揮発性の液体の影響もあってか?)

タンジェリンドリームは、ピンクフロイドに物足りなくなって聴き出した
ドイツのプログレッシブロックバンドですが、アルファ・ケンタウリ
(ケンタウルス座のアルファ星)というアルバムが私にとってベストで、
1曲40分程度の曲なのですが、ラジオの深夜放送にリクエストしたところ
流れてしまうような・・・今思うと、のどかな時代でした。

上記のアルバムは、今手元にないので、amazonで探したところ、
デスクユニオンの新宿店にて中古品が合ったので、先ごろ注文しました。
(・・・でも、イギリスから発送され、1ヶ月ほど待つようです。)

参考:
林義男  Wikiより
タンジェリンドリーム wikiより

プロフィール

イージー・ウォーカー

Author:イージー・ウォーカー
神奈川県の北部・相模原市で
建築の設計を生きる糧としつつ
その他諸々のことについても
興味の向くまま・気の向くまま
人に頼まれるまま、、、
首を突っ込み・・・楽しく生きている
50代 オジサン の与太話です。

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